新理事長就任の御挨拶

新理事長就任の御挨拶

新宮一成

 2025年度より第4代となる当学会の新理事長に選出されました。第3代高江洲義英前理事長の迹を引き継ぎ、しっかり務めたいと思っております。就任に当たって想うことを申し述べます。題して「菫と葛」とします。

菫と葛

 山路来て何やらゆかしすみれ草

 芭蕉のこの句は『野ざらし紀行』の中にある。自分の死骸が旅の途上で、野原に晒されることを想い描きつつ江戸を発つという趣意である。「野ざらしを心に風のしむ身かな」。旅立つ先は、「旧里」である伊賀上野と上方一円である。作品の中ほどに「死にもせず旅寝の果ての秋の暮れ」とある。まだ死んでいない。実は出発の前年に、自分ではなく母が亡くなっていた。彼は生き永らえて故郷伊賀上野に着いて、亡き母の墓参をし、滞在した。年が明け、奈良京都を経て大津に出る峠道の道端で、この菫に出会い、「何やらゆかし」と詠んだのである。

 何ゆえ何が、「ゆかし」かったのか・・・。前年に死んだ母を「再発見」したのでなければ。そして、母が亡くなるのと同時に死んでしまっていたはずの自分自身をも「再発見」したのでなければ・・・。道端で風に揺れている「すみれ草」は、あの世で亡き母に「同一化」して再生した自己像であった。『野ざらし紀行』を皮切りに、芭蕉は、旅に憑りつかれたままに人生を俳句にする。その後の『奥の細道』に「古人も多く旅に死せるあり」とある。自分を探す旅は、死の世界をさ迷い、死者との同一化を重ねる旅であった。『笈の小文』では、誰がそんな物を彼に持ち来ったのか、芭蕉は落馬しつつも辿り着いた故郷で自分の<臍の緒>を見せられ、「旧里や臍の緒に泣(なく)としの暮れ」とあえて感情を抑えずに詠んだ。それならすみれ草も、臍の緒の仲間ででもあるかのように芭蕉をふと涙させもしただろう。桜の花の下に西行の遺骸が埋められているとしたら、菫の群落の下には芭蕉の遺骸があっても驚くまい。後年夏目漱石は、「菫程(すみれほど)な小さき人に生(うま)れたし」と詠む。芭蕉亡きあと、その場に漱石はすみれ草のように生まれんとしたのか。『道草』の主人公が赤子を抱く妻を見ながら、「一人が死ねば一人生まれる、という夢のようなこと」をぼんやり考える場面がある。花の下一人が逝けば一人来る、そんな人と人の隙間に咲きいずる花たちは芸術創造の蓮華の台座である。

 喪失の空虚が人にもたらす切迫によって、創造行為が行われるという論を、メラニー・クラインが立てている。人から借りて気に入って、壁に懸けてあった絵を、人が取り戻しに来た。残された壁の虚ろな白さに耐えきれず、自分から絵を描くしかなくなって、芸術家の人生が始まった、そんなスウェーデンの画家の体験を切り口にした論である。クラインは、人を亡くした喪の過程の中で、すなわち「抑うつ態勢」の中で、人は象徴作用に身を委ね創造すると考えた。芭蕉と漱石の菫の体験を鑑みれば、我々はそのクラインの論に従ってよいだろう。

 葛の花ふみしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり

 折口信夫の歌である。日本人の誕生の場を暗示する『海やまのあひだ』という歌集の中にそれはある。葛の花は踏まれて水分を発し、輝きを増してから滅びるのである。通る人もなさそうなか細い山中の道の風光である。それを見ている私がいる。しかしその少し前にここを通った人がいたことに気づきはっとする。先行者と己のあいだに光る花の色の生命の貴重感。その光によって、自分のいのちが前の人のいのちと切れてまた続いていることを知る。そしてそのまま幾山河を越え去りゆくと、果てることがなさそうだった旅も終わりを告げる。折口は詠む。「人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどのかそけさ」と。

 詞書に、「数多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立ってゐるのは、あはれである。又殆、峠毎に、旅死にの墓がある。中には、業病の姿を家から隠して、死ぬるまでの旅に出た人のなどもある。」出立する芭蕉に憑りついた「野ざらし」の観念は、迢空(折口)ではいわゆる行き倒れとして自然のなかで具体化している。それを哀れんだ人の手で、塔婆が建てられ供養もされている。菫も葛も咲いてはいないようだが、そこには「かそけさ」が漂い残る。折口が万葉から引き出したあはれの情趣。それは死後の魂を夢見る生者たちの耳に彼岸から届く、いのちの摩擦音である。芸術の機縁は、いのちの超越に出会うことである。道の辺の菫に母と己のいのちが託され、葛の花の輝きに馬と人の境目が消える。

夢見るアンモナイト

芭蕉は過客として江戸に住まい、伊賀の旧里の周りを何回もめぐる旅に出て、自分自身の野辺送りをした。そして大坂で、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」という句を最後に客死した。その大阪で折口は生まれ、枯野から響く「かそけさ」を「常世」からの通信のように聴いていた。彼は東京で死んだが、東京にも太古からの「かそけさ」を響かせているものがある。

 まだ夢を見るのだらうか議事堂の壁に隠れたアンモナイトも

 これは「夢」を題に開かれた新春の「歌会始の儀」での、小学校教諭、吉田光男氏の歌。国会議事堂の壁には、沖縄県産の珊瑚石灰岩が使われていてそこには巻貝などの化石が数多く含まれているそうだ。興味をもった天皇陛下もその場所を尋ね、「ちょっと探してみます」と話されたという(2025年2月10日、毎日新聞)。

 私も大阪に生まれて、いま東京に事務局がある芸術療法学会の新理事長として、選挙によって「掘り出された」気がする。私は埋まっていたアンモナイトであった。そうであるなら、掘り出された以上は、多くの人々が芸術療法の色々なアイディアを生むための、「菫程な」機縁になりたいものだと思う。努力してなれるものではないかもしれないが、化石のままでいるのは望まない。葛の花の「新しい色」のようにこれから語らいを重ねながら、人々の創造行為の輪の中に居ようと思う。